意外と知らない鞄の歴史について

普段より、私たちの生活に欠かせない鞄やバッグ。その歴史は、紀元前までさかのぼります。メソポタミア文明で有名なアッシリア時代(現在のイラク付近)のレリーフには、すでに取っ手のついた鞄のようなものが描かれています。
また、古代ギリシャでは映画などにも出てくるように、小物などを小袋に入れて腰紐で吊るしたり、食料品などを大きな袋状のものに入れて運んでいたそうです。
ヨーロッパでは、中世になると貴族の間で、現在の「ポシェット」「ハンドバッグ」の原型のような、「オモニエール」という装飾された巾着袋が流行ります。「オモニエール」は装飾されたベルトに吊るして使うもので、貴族の肖像画などにも描かれています。

世界の鞄ヒストリー

記録に残る世界最古の鞄として、紀元前9世紀頃の彫刻が挙げられます。古代アッシリアの翼を持った神様が、ハンドバッグのようなものを持っている姿が描かれています。古代の貴族たちは金や宝石を持ち歩くために小さな鞄を持ち、庶民は大きな袋に食料などを入れて物々交換をしていたと考えられています。

6世紀から15世紀までの中世の時代になると、貴族たちはポシェットのようなものを腰のベルトに吊るしていました。服飾技術が発展する15世紀から16世紀のルネッサンス時代に入ると、メンズファッションにポケットがつけられます。男性は頻繁に鞄を持ち歩く必要がなくなりましたが、18世紀末のフランス革命以降は質素な服が流行しました。ポケットが少なくなったため、様々な鞄が作られていったのです。

日本の鞄ヒストリー

日本における鞄(バッグ)は、西洋の文化が入ってくる明治時代以前は、大きく分けると袋状のものと、箱状のものに分けられます。
袋状のものですと、平安時代にはすでに小さな巾着袋に貴重品を入れて使用していたようです。また、諸説ありますが室町時代になると、家長の嫁が袋状のものに貴重品や金銭を入れて管理していたことから、「おふくろ」「おふくろさま」と呼ばれ、時代を経てその呼び名が、母親を指す言葉に変わったという説もあります。
箱状のものですと、「鎧櫃(よろいびつ)」という鎧を入れておく蓋付きの箱や、「胴乱(どうらん)」という、その多くは革製の小型ケースで火縄銃の火薬や薬品・貴重品の携行に利用するものとして、時代劇でおなじみの「印籠(いんろう)」などは薬入れとして、竹や藤などで編んで作られた今でいうトランクのような蓋つきの籠の「行李(こうり)」は、衣類などの収納や旅行用の荷物入れなどに用いられていました。
「行李(こうり)」は、「柳筥(やないばこ)」という名で、927年編纂の「延喜式」には奈良の正倉院の調度品として、また「続日本書記」にも記述があることから、当時は宮中への献上物として用いられていたと思われます。
その「行李(こうり)」ですが、編む素材によっての名称も存在し、竹で編んだものを「竹行李(たけごうり)」、コリヤナギという植物で編んだものを「柳行李(やなぎごうり)」と呼んでいました。
「柳行李(やなぎごうり)」の一大産地として発展を遂げたのが、現在もかばんの町として有名な兵庫県豊岡市です。

鞄の名称はオランダ語のカバスや、中国語のキャハンから来たという説があります。明治時代の文明開化を境に、鞄が普及しはじめました。明治時代の銀座には鞄のお店が立ち並び、外国人の鞄の修理や、裕福な方向けの高級鞄の販売を行っていたようです。

鞄という漢字の由来は諸説ありますが、最も有力なのが谷澤商店を創業した初代谷澤禎三氏が、革と包を一文字にした鞄を考案使用したという説です。それまでは胴乱と呼ばれていましたが、明治14年ごろに現在の鞄に定着したといわれています。

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